結成前夜 1

'95年頃、浦川が楽器店で修理の仕事をしていた頃、ベースを改造しに店に来た梶原と出会う。
梶原は既にハコバン(飲食店等で演奏するバンド)でプロミュージシャンとしてのキャリアを踏み出し始めていた。
このしばらく後に同じようにして店にギターの修理をしにやって来たSMJのヴォーカルFUNKY林氏に出会う。
既に'88年に結成され、当時活動休止状態だったSMJに誘われ浦川が加入。
ベースレスで2回程スタジオ練習するも、ベースが居ないとやはりしっくり来ない。
と思っていた矢先、ハコバンの仕事を辞めたばかりの梶原が浦川の働いていた楽器店に訪れ、浦川が梶原を誘う。
その後、SMJはドラマーが流動的ながら不定期にライブを続ける。
'96年、梶原のハコバン時代の仕事仲間である柳氏が加入。ほぼ固定メンバーになった。
梶原はSMJと平行しながら複数のバンドに参加。
ブリットポップロック系スリーピースバンドの「SPOON」、
自らリーダーをつとめた男気アメリカンスリーピースロックバンド「SLOW」、
KBC(九州朝日放送)テレビの番組の企画で半年程テレビに準レギュラー出演した「斉藤ふみバンド」(SMJの柳氏も途中から参加)、
「そのどれもがメジャーに行ける位の可能性を持ったバンドだったと思う」(浦川)。
そして、'00年、「I-SHIN〜維新」に参加。ここで"狂声"尾石と出会う。
意外な事に尾石は本格的なバンド活動は維新が最初だったという。
維新は勢力的に活動し、破竹の勢いで快進撃を続けインディーズデビューを果たし、
CDも全国発売され、…後は皆さんの御存じの通りだろう。
しかし、その維新も'02年9月に解散。
一方、浦川はSMJと平行して「SLOW」のVo.&G.中村氏と2人でフォークデュオ「燕會(つばめかい)」で活動、
その他にも作曲コンテストに入賞したり、一時長崎に住んでいた事もあったが、
「チョコチョコとは活動していた」(浦川)。


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